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ものまね芸人春一番の病気,死因は?酒好き、妻、ブログに画像有。

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元プロレスラー・アントニオ猪木(71)の物まねで知られるピン芸人の春一番(本名・春花直樹)さんが3日、肝硬変のため都内病院で亡くなった。47歳だった。


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所属事務所によると、けさ6時ごろに夫人が自宅で目を覚ますと、すでに春さんの呼吸が止まっていたという。救急車で都内病院に搬送され、蘇生措置もとられたが、そのまま帰らぬ人となった。

検死の結果、事件性はないと判断された。子供がなく、二人三脚で歩んできた夫人はあまりに急な事態に泣きはらしているという。

通夜・葬儀は近親者のみで行われるという.

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アントニオ猪木見舞いにより奇跡的に回復?


2005年8月8日から12月にかけて、腎不全(病名は肺膿瘍)で入院し、手術を受けた。集中治療室に入っていた際、猪木本人の見舞いを受け、「病院で会うのはつまんねぇ。元気になったら飲みに行こうよ」などと激励されたという(この際、ICU内にもかかわらず猪木の携帯電話が鳴ってしまったが、猪木は悠然と電話に出て「10分後にかけ直す」と言ったという)。一時は命も危ぶまれたが、この猪木の見舞いを受けてから奇跡的な回復を遂げた。実際、猪木とは回復後頻繁に会っており、飲みの場に同席しているとのこと。なお『やりすぎコージー』では、猪木のビンタで春一番が回復したというエピソードが千原兄弟によって披露されている。

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2006年12月31日、フジテレビの『最強運2006ランキング大検証SP』に出演。仕事が出来るまで回復した事を示す。その後も営業や単発のテレビ出演などを精力的にこなしていた。


春一番プロフィール

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春一番(はるいちばん)
本名:春花直樹(はるはな なおき)
生年月日:1966年8月13日(年齢47歳)
出身地:岡山県浅口郡鴨方町(現:浅口市)
所属事務所:アネット
ブログ:http://ameblo.jp/halu1ban/(アメブロ)

サラリーマン生活(「甘栗太郎」の社員)を経て、1985年に芸人を志し片岡鶴太郎に弟子入り。1988年NHKテレビのドラマ『翼をください』で芸能界デビュー。当時の所属事務所は太田プロダクション。

アントニオ猪木の物真似(猪木自身が唯一公認している)一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では毎回「プロレス字読みクイズ」に当然猪木の物真似付きで出場。散々なやられっぷりを見せた後に「今日も負けてしまいましたが…」「1・2・3・ダァーッ」のマイクアピールで締めるお約束で知名度が高まるが、過度の酒好きも絡んだ素行不良により、1994年に太田プロから解雇される。

『お笑いウルトラクイズ』を若手抜擢・育成の場と考えていたビートたけしは、春にも目をかけており、周囲の人間に春に酒を飲ませないように指示を出したり(水道橋博士の証言による)、「お前が酒を止めたら、俺の番組で一生使ってやる」と説いたりしていた。たけしと同じく事務所の先輩であるダチョウ倶楽部も、春の家に電話をかけて酒を飲んでいないか様子をみるなど、気にかけていた。しかし、「お前が酒を止めたら…」の言葉に感涙した次の日にはすっかり忘れて飲みふけっていたり、しっかり飯を食べるようにとたけしから贈られた炊飯器でホットウイスキーを作っていたりと、どうしても酒を止めることができなかった。

1997年、3歳年下の女性と結婚。嫁との間に子供は現在までいなかった。


1998年4月4日の引退セレモニーで猪木が読み上げた詩「道」は、春の新しい物真似レパートリーとなり、徐々に表舞台への登場が増える。


2000年頃、猪木の活動が注目を集めるようになると、春自身へのオファーもさらに増え、この頃猪木のモノマネでCMに出演した事がある。猪木とのコラボだけでなく、春単品のグッズ(フィギュアなど)も発売されている。(Wikipedia引用)

まだ若い...ウソのようですね.テレビでは最近お見かけしていませんでしたが,ブログに営業など活躍されていました.ご冥福をお祈りします.


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